先日、2013年12月2日(月曜日)、高知県立文学館にて、弥太の71回忌記念
「詩の朗読とホームページのおひろめ」&「懇親会」を企画させていただきました。
その催しの報告とお礼を申し上げたいと存知ます。
1. 文学館ホールでの「詩の朗読とホームページのおひろめ」
参加者は、10名でした。
まず、私のほうから、このたびの「詩人 岡本弥太の軌跡」ホームページ開設にちなんで、寄稿いた
だきました山川久三先生の文章を代読させていただきました。(下記、写真.1)
弥太の黒潮三部作のころが、詩人の喜びに満ちた時間ではなかったか・・・と評してくださいました。
そして、弥太の四女(藤田 泰子)が、遺族としての御礼の言葉を、弥太の思い出とともに申し上げ
ました。弥太が、昭和16年12月8日の日本軍真珠湾攻撃のラジオを聴いて、たいへんなことにな
ったと、地球儀を子らに見せて、アメリカとイギリスの国土の大きさを教えてくれて、日本の将来を
悲観した・・・との話や、左翼的書籍を便所の汲み取り口に隠して、特高警察の捜索を、妻の由が一人で
守りきった、さらに土足で上がりこんだ特高警察に、足跡を雑巾で拭かした!というのですから、豪
傑ぶりの妻であったと(そのとき、身ごもっていたのは、四女泰子でした)
そのあと、私のほうから今回のホームページの解説と弥太詩の「白牡丹図」「徨うもの」「雲」「鶏
頭」「皿」「帰郷」をプロジェクターで写しながら朗読させていただきました。
次に、参加者のみなさんの自己紹介と弥太とのつながりについて、沢山のお話を頂き、清水の西村様
からは、父親の和三郎を宮沢賢治に紹介してくれたのは「弥太」だったという衝撃的な話と弥太の手
紙の存在をお話いただきました!(下記写真.2:弥太自筆住所録の最初に西村和三郎さんがある)
最後に、「わが涙」を私先導で、参加者の方々の唱和で、終了させていただきました。
2.懇親会(サンセットライブラリー)
9名の参加でした。 弥太の住所録の話や、西村様のお父様のお話(宮沢賢治的生き方を通した方)
ギター録音をバックに「白痴平吉」を読んだり、やはり最後は「わが涙」を歌って散会しました。
たいへん、ご多忙な中、駆けつけてくださいました皆様に篤く御礼申し上げます。
□ Photo.1 山川久三先生の原稿
□ Photo.2. 弥太自筆の住所録(岡本 龍太 蔵)
□ Photo.3. 西村 光一郎さま(土佐清水市)
□ Photo.4. 宴会中、左から香南市教委「末延さま」 Okamoto本人 NPO龍馬「細川」さま
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