『夕日の坂道』鑑賞
轍 郁摩   
春潮やわれに流るるうすみどり    三佳 
 
 鷹俳句会を創設した藤田湘子先生は、1985年(S60)9月、『実作俳句入門』を発行した。これは、初学から4、5年が過ぎ、作者が悩む時期への啓蒙書にしたいとの思いからであった。 
 
 そして、「自分は何のために俳句をつくっているのか」と考えること。まず「俳句をつくるのは、誰のためでもない、自分のためだ」と自覚を強く持つことが肝要と機会あるごとに指摘された。 
 
 私達は、『いい俳句には、俳句のうしろにいる作者を感じることができる』、『自分を出すてだてがわからないなら、言葉ではっきり「我」をつかったらいい』と教わった。 
 
 「春潮」の句は、佐竹三佳の第一句集『夕日の坂道』巻頭に置かれている。この一句をどれにするかは、作者自身の迷いもあったはずである。しかし、実に素直な心根で、湘子の教えのままに「われ」を出した一句を選んでいる。 
 
 大阪に住む作者だから、瀬戸内海の春潮だろうか。春の大景が浮かぶ。 
 
 女人の「われ」のなかを流れている血潮も情念も「うすみどり」。それは、まるで白い皮膚の下を流れている静脈が透けているようにも、また、時の感覚や記憶が作者の中をうっすらと流れ、新たな季節の変化が確かに訪れているようにも連想される。 
 
 
からつぽの箱ひとつあり秋の暮    三佳 
 
 「秋の暮」を詠った短歌、俳句は多い。内容的には類想の句があるかもしれないが、この句では、ア音の音韻に注目した。 
「か、ら、は、あ、あ」と、大きく口を開ける明るい音が5音並ぶ。 
 
 湘子の第三句集『白面』(1969)には、 
 
たかむらに竹のさまよふ秋のくれ   湘子 
 
と詠んだ句もあるが、ア音が 
「た、か、ら、た、さ、あ」の6音。 
 内容的には、「たかむら、さまよふ、秋のくれ」とマイナーな言葉が続きながらもそれほど陰湿で無いのは、この音感によるものだろう。 
 
 三佳も湘子の句を、知らず知らず何度も朗誦していて、この音感やリズムを吸収していたのかもしれない。 
 
 「からつぽの箱」の句は、私の好きな句である。 
 家の中や自分の中を整理した時、これから何でも入りそうな空き箱が目の前にある。「ひとつあり」には、少しの期待が含まれている。人生には、何かの希望が無ければ虚しいはず。 
 
 秋が来たら短冊に書いて壁に掛け、毎日眺めてもきっと飽きないだろう。ただし、「からっぽの箱がまだ一つ在るなら、その箱も捨てて往け」と叱られるかもしれない。 
 
 
蝶凍てて鉄条網にとどまれる    三佳 
毛糸編む恋の終ひは吾が決めし   三佳 
 
 「毛糸編む」の句は、小川軽舟抄出十句にも入っている。 
しかし、見開き4句、1ページ2句の版組で、 
上掲2句が1ページに並んでいるのだから、否応なく「蝶凍てて」の句も飛び込んで来る。 
 
 「凍蝶」と「鉄条網」の取り合わせ句など、句会なら頂かないかもしれない。それでも心に残るのは、「恋の終ひ」の匂いのせい。逡巡と決別のこころを俳句でこんな風に詠えるのかと何度も何度も読み返し切なくなった。 
 
 誰のモノマネでもない自分の発想で「われを詠む」俳句とは、こんなにも詩情を揺さぶるものかと納得した次第。 
 
 
破芭蕉どん底なれば上がるのみ    三佳 
 
 近頃は芭蕉を植えている所も少なくなった。夏の青葉の時期は瑞々しいのだが、食用にもならず、解熱・止血薬に利用する知恵も廃れてしまった。 
庭木に植えるには縁起が悪いし、公園管理者にとっては苦情の種。機会があれば伐採、撤去の憂き目にあっている。 
 
 秋になり破芭蕉が風雨に揺れる音。台風でも近づこうものなら、近所の迷惑になりはしまいかと心配も増える。 
 
 この句の強さは、「どん底」を一句に持ち込む潔さと「上がるのみ」と言い切る決断力。特に「のみ」で自分で自分に言い聞かせている。 
あるいは、ビールを掲げ、俳句仲間に宣言したのかも知れない。 
 
 まだ、「枯芭蕉」ではなく「破芭蕉」なのだ。細胞の中を水分が行きかい、気力もあり底力は残っている。 
 
 そして、この句の延長線上に、 
 
遠火事に切れば血の出る女だよツ   三佳 
 
が、あるのだろう。 
 佐竹三佳らしい句風の一つでも有るが、私は、まだまだ満足しない。 
         すてつちまをか 
短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎   竹下しづの 
 
と、どこか似た匂い。常識を常識ともせず、半歩崩して見せる、女の潔さ。褒められれば伸びる。伸びしろは計り知れない。 
 
 
涼しさや湖北泊の草の丈    三佳 
 
 その一方で、奇をてらわぬ本格俳句の王道も進んでいる。 
 琵琶湖を渡る涼風。「涼しさや」と詠い出した暑さの中に見出した空気感。「湖北泊」を使った歴史を背景にした安定感。 
 
 ありふれた夏草でも良いのだが、ここでは背の高い「葦」を思い浮かべた。見上げれば東に伊吹山、琵琶湖の護岸も開拓され、葦など生える場所も限られてしまっただろうが、湖北のどこかに残っていて欲しいもの。叶わなくても、胸の中にはいつまでもこんな風景を残して置きたい。 
 
 
朝顔の双葉や父の百ヶ日    三佳 
 
 鷹俳句会の軽舟主宰は、時間を大切にされる。過去から未来へ、そして、今も忽ち過去になるこの瞬間を描き止めようとする。また、選句にも勿論この眼差しが情として光る。 
 
つまり、佐竹三佳もこれから毎年「朝顔の双葉」を見るたびに父を思い出すだろう。 
 
 
しまひ湯に四天王寺の除夜の鐘    三佳 
寒柝や一町つづく寺の塀       三佳 
 
 小川軽舟主宰の序文によれば、「三佳さんはこの世に生まれてこの方、上町台地の真ん中に暮らしてきた。」「三佳さんは同居する祖母に連れられて、近所の四天王寺へ煤逃に出かけた。」とあり、大阪の歴史ある四天王寺近くに住んでいたことが窺える。 
 
 私は、わけあって四天王寺を一度も拝観したことがない。 
 母方の祖先が物部守屋と縁が有り、幟旗や四天王寺は縁起が悪いと教えられてきた為である。 
 
 誰にとっても、自分で選べぬ産まれ育ちが、その後の思考回路に多大な影響や負荷を掛け続けたり、あるいはまたその反対に、心の平安や安心感につながる場合もあるだろう。 
 
 一年の最後の大晦日。湯船で聞いた「除夜の鐘」を、この年のこの音を、生涯忘れられないはずである。 
 
 また、今では町内会の火の用心の「寒柝」を聞く機会もほとんど失われてしまったが、冬の夜、寺町の長い長い塀に沿って歩けば耳底に昔の音が蘇るかもしれない。 
しかも、「寒柝」の音ばかりでなく、家族のたわいない会話や屋内の光、湯気の上がるような食卓の匂いまで。 
 
 
艫綱を女に投げし桜かな   三佳 
 
 着岸した舟の舳先に乗っていた男が「艫綱」を陸に投げただけなのだが、それを受け取ったのが女だという一瞬の驚き。 
見上げれば満開の桜。 
 
 現実は、大阪の川を巡る花見船の情景のように、大阪城や造幣局付近のクルーズ船だったかも知れない。しかし、どちらかと謂うと、もっともっと小さな舟を想像した。 
 
 有りえぬ想像であっても、桜の色や匂いから、映画の一場面のような男と女の物語が広がり、しみじみと情感をかきたててくれた。特に下五「桜かな」への展開が実に心地よい。 
 
 この句から、ふと軽舟主宰の一句を思い出した。 
 
雪景色女を岸と思ひをり    軽舟   H18 
 
 「雪景色」が取り合わされる面白さは格別。 
これだから俳句はやめられない。 
 
 
松高く大華厳寺の門涼し    三佳 
 
 奈良の東大寺南大門には、「大華嚴寺」の扁額が高く掲げられている。 
 南大門を通るときは、運慶・快慶の名彫刻「金剛力士像」を絶対見逃すな、と美術教師に教えられ、左右の彫刻や近寄ってくる鹿ばかり注目してきた。 
 
 しかし、今見るべきものは、この大門を通り抜ける松風であったか。 
 
 「松高く」と、実にしっかり眼が利いている。あまりの門の大きさに、松の高さなど気にしなくなってしまうが、言われて見れば実に高い。夏の松も美しい。 
 
 
顔捨てて坐りし男暦売    三佳 
 
2024年鷹3月号の巻頭句であった。 
 
 軽舟主宰が、『「顔捨てて」が思い切った措辞である。(中略)表情はもちろんのこと、自分の属性を一切捨てて、ただの暦売になりきった潔さが見て取れる。これまでの人生の来歴を捨ててここに流れ着いた男のようにも見える。その男が未来へ向かう日々を刻む暦を売っているという巡り合わせが皮肉だ。』と批評していた。 
 
 私には皮肉とまで読みきれなかった。儲けようとするなら、接客を良くし、笑いの取れる口上でも述べればいいのだろうが、まだ自分を捨てきれぬ含羞が残っていたのだろう。 
 
 「顔捨てて」と感じた佐竹三佳の他者に対する眼差しの深さにこそ、長年勤務して社内で揉まれ、派遣社員や離職者の厳しさを痛感していたのだと思う。 
 
男次第ぞリヤカー押すも紙干すも   湘子   H1 
 
の一句が浮かんだ。 
 
 
 句集あとがきには、「むしろ自分を見失ってしまいそうな時こそ、カメラを引いて俯瞰するように客観的な視点を与えてくれる。」と書かれていた。実に冷静で俳句の核心を捉えている。 
 
 笑顔と明るい声を忘れず、いつまでも大阪の句会仲間を大切に。そして、これからも多くの湘子門、軽舟門の後輩たちと共に、新しい俳句世界を切り開かれることを期待したい。 
 
 
   
  
 
  
 
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